今日は7日。
七草粥の日ですね!
って日本はもう8日ですね。
何故か七草粥は好きでした。
私が懐かしがっていたら母が、今年は1人だけど私のために作るね!写真送るね!と言ってくれました。
そして一人分だと七草がだいぶ多いわと緑たっぷりの七草粥写真が送られてきました♪
くぅ〜食べたい!
今日はちょっとディープな予感のするタイトルをつけてしまいましたが、
本人はいたって平常心というか、自分の感情を観察した結果を淡々と書き残したいだけなので
重くないと思います♪
昨年父を亡くした私はこのお正月は世間的には喪中となる訳ですが、当初は正直あまり気にしていませんでした。
もともと仏教徒ではないですし、宗派によっては喪中期間を設けない仏教もあるようなので
お葬式と同じで、残されたものが最後にしてあげられる事だから、慣習だから
と言う位置付けなのかなと思っていました。
ただ母は慣習を気にするタイプなので、彼女の気持ちを害する可能性のある事はしたくないなと思い
日本語での新年の挨拶は公には控えました。
英語では普通にHappy New Year!と何度も口にしていましたけどね。
そして年明け後当然ですが、ユーコンで知人から何度か明けましておめでとうと言われるタイミングがありました。
その時私は何故か毎回、言葉に詰まってしまいました。
もちろん知人なので私の父が亡くなっている事は知っていますが、半年前のことですし
SNS等で喪中ですと年末に伝えている訳ではないので、相手に対して何かを思った訳では決してありません。
そこは誤解しないでくださいね♪
とっても不思議だったのですが、こういった新年の挨拶を人からされたら
反射的に返せるものだと思っていたのが
うまく口から出て来ない自分がいる事に気付いたのです。
しかも、最初に書いたように本来はそういった慣習を気にしないタイプだったはずなので
ごめん喪中なんだ…みたいな断りを入れる気にもならず。
何だろうこの感覚は…とただただ自分で自分に面食らった感じで、ゴニョゴニョと言葉ではない
音?を発して終わりました。
ナンダソレですよね。
その後あまりに意外な事だったので、少し自分の感情を掘り下げてみました。
明けまして〜と言わずに、ただ おめでとう!だったら言えたのか?
あけおめなら良いのか?
いや、今年もよろしくなら問題なく言えた気がする。
などなど。
結局、慣習によってついたイメージが言葉に染み付き過ぎていることと
実は哀しみは薄れたわけではなく、心の底で沈殿していただけだった事に気がつきました。
母の影響もありますが、年末にSNSで喪中につき新年の挨拶は…と丁寧にお断りを入れる人も見ていたので
喪中なのに自ら新年の挨拶をするなんて非常識…というイメージが私の言葉にくっついてしまているようです。
なので、無意識的に母に嫌な思いをさせたくないという気持ちが先にきて言葉が出なかったのが一つの要因な気がしました。
また、父を失った哀しみはずっと心の底の方に留まっていたようで
今回のちょっとした事で気持ちが揺れ、沈殿していた哀しみが上の方に上がってきたのだと思います。
人の気持ちって面白いですね。
喪失感で泣き出すような事はないので、きっと私は父の病気発覚後に覚悟を決めていたし
後悔もないから大丈夫なのだと思い込んでいましたが、たまに心が揺れて
哀しみが出てくることもあるみたいです。
そして少し時間が経てば、哀しみはまた心のそこに溜まって行く事も体感しました。
こんな感じで、薄れるというよりは共存していくのでしょうね!
こんな風に、自分の気持ちと向き合う余裕のあるユーコンでの暮らしは本当に最高です♪