昨日は日本映画の上映会に行ってきました。
これはカナダ日系人会や領事館がスポンサーとなっていて、もちろん日本人以外の人もウェルカムな上映会です。
今回上映されたのは、『彼らが本気で編むときは、』でした。
この映画の予告は日本にいる時に目にしていたのでかなり前の作品かと思いきや、2017年の公開だったのですね。
物語は想像していたよりもしっかり踏み込んだ内容になっていて、それでいて少し笑ってしまうような場面もたくさんあって
とても面白かったです。
監督は荻上直子さんという方でした。
かもめ食堂やメガネも同じ方だったので知っている方も多いのでしょうか。
私は残念ながら存じ上げませんでした。
映画館に行くなら断然洋画派だったので、上記の作品は知っていたし気になっていましたが、いずれレンタルしてお家で…
と思っていて結局見ていないやつですね。
今回の『彼らが本気で編むときは、』の温度感がとても好きで、こんなストーリーを作れる人の他の作品はどんなものなのか
とても興味が湧いたので、どうにか観られる方法を模索したいなと思いました♪
登場人物の多くが団地に住んでいるのですが、私はそのこぢんまりとした居住空間に懐かしさと、少しの違和感を覚えました。
私は中学に上がるまでは団地住まいでした。
なのであのきゅうきゅうな感じは懐かしくもあるのですが、この前日本に一時帰国をした時に感じた実家(戸建)の狭さもそうですが、完全にカナダでの広々とした空間に体だけでなく、感性までもが馴染んでしまったのだなと気づいたのです。
なんだか狭い空間に人がひしめく感じは、今となっては自分にとってストレスを感じる空間のように感じるな、と気づいてしまいました。
映画以外の部分に話を飛ばしますが、
上映前に領事館の方が挨拶をされました。
今回ホワイトホースに来たのは初めてと言っていた気がするし、とっても緊張していたのかと思いますが、正直挨拶は朗読のようでした。
しかしこれはもしかしたら、日本人にはありがちな緊張の仕方なのかなと思いました。
良くも悪くも、真面目な人が多い印象の日本人です。
人前で話をしなくてはならない!
↓
しっかり伝えるべきことを話さないと!
↓
原稿を作る。
↓
原稿に釘付け
みたいな感じですかね。
私の父が兄の結婚式でしたスピーチも、まさに同じような感じでした。
とにかく兄に恥をかかせないよう父としてきちんとした挨拶をしなくては!
↓
初めてのスピーチなので、本に載っている例文を読みあさる
↓
定型文を切り貼りしたような原稿を作る
↓
とにかく緊張しているけどしっかりやりきらなくては!という思いで読み切る。
当日は滞りなく読みきりましたが、それは父から参列者に対する本当の気持ちではなく、ただの形式上のもののように感じてしまいました。
(もちろん気持ちがこもっていないと言いたいのではないですよ)
うまく言えませんが、形式的な事をする時に本質がずれてしまっている感覚というのでしょうか?
一時帰国した時に親族の四十九日に出席したのですが、これはその時にも感じたことでした。
お経を上げてもらい供養するのに分刻みでスケジュールが組まれていて、終わればすぐに次の家族と入れ替わりました。
大事なことは相手や今を感じたり思う気持ちなのに、その気持ちを表すための行動(スピーチだったり儀式だったり)に一生懸命になってしまって
結局一番大事なことが抜け落ちてしまっているような感じがしたのです。
とは言え大勢の前で話すのは本当に緊張しますよね。
私は日本で働いていた時に朝礼で毎回話さなければいけなかったのですが、たかだか20人くらい
しかもほぼ毎日同じ顔相手でも、慣れるまでに相当の時間がかかりました。
かなり映画とはかけ離れた内容となってしまいましたが、私にとっては映画と同じくらい感性が揺さぶられる気づきでした。
しかも感じたことを言葉で説明するのって、本当に難しいですね。
こういうことがいつか英語でもできるように…
なるのでしょうか……遠い目。